生い立ち④  26歳〜28歳

26〜28歳

・母の入院

1人暮らしを満喫している最中、状況は急変しました。

母の緊急搬送、そして入院に至るまでの数週間は

地獄のような日々で、今もはっきり思い出すことができません。(辛い過去というのは記憶から抹消させようとする働きがあるのかもしれませんね。)

2日に1度は母の付き添いとして

救急車に乗るような生活を送り、

ろくに眠ることもできず心身ともに疲れている矢先、

母から「死にたい」「一緒に死のう」と告げられた時、

目の前に刃物がありました。

母は精神を患っていました。

経営不振や母と兄との確執など・・・

様々な問題が母を苦しめていました。

そして、緊急入院。

先生に一連の事情や状況を話す時に、

私は涙がポロポロとこぼれ落ちました。

ようやく泣けたのです。

今まで唇を噛んで必死にこらえていたのが緩んだ瞬間でした。

私は父の仕事の母のやっていたことを請け負うことに。

プライベートな時間なんてとてもありません。

休みは母のところへ行き、様子を見るも、

何を軸に良くなっているのかとも、悪くなっているとも言えず

ただ、母の変貌ぶりに胸が痛くなるばかりでした。

母はとても、華やかで綺麗な人でした。

強引で豪快な性格とは裏腹に

とても繊細でもありました。

病院の先生たちの質問は皆同じ。

「お母さんはどんな性格の人でしたか?」

「何が原因だと思いますか?」

というもの。

私の応えは、

「明るい時もありました、しかしその分の暗さも持ち合わせていたかもしれません。」

「何と決めつける要因はわかりません。」

と答えるしかできません。

生活の全てが変わり、私の心もすっかり抜け殻状態でした。

煩わしいと思っていた母のことを思い出すのはいつも楽しかったことばかり。

同世代の女性が母と娘で買い物をしたり、

お茶をしている姿を見ると涙が出てきました。

出かけることも、

大好きだったオシャレをすることも

友人に会うことも

ほとんどなくなりました。

・悲しい日々からの解放

すっかり憔悴しきっていた頃、

「同じ人生なら笑って過ごそう」と

父も涙をこらえて私に言いました。

そして、歌ってくれました。

「ひょっこりひょうたん島」の歌です。

苦しいこともあるだろさ。

悲しいこともあるだろさ。

だけど僕らはくじけない。

泣くのはいやだ。笑っちゃおう。

すすめ ひょっこりひょうたん島

その時初めて、父も私と同じ気持ちだったのだと気付きました。

私は自分ばかりが悲劇のヒロインで、

自分だけが辛いと思っていたのです。

よく考えると父は私以上に辛かったはずです。

自分が愛した妻が、自分のことも忘れようとし、

会えば、知らない人のように扱われたりしているのに。

それでも父は平気そうに見えました。

平気そうに見せてくれていたのです。

私は母から忘れられるのが怖くて逃げたかった。

それより、元気だった母を忘れるのが怖かった。

いつまでも現実を受け入れるのを拒否していたのです。

しかし、父の本音を知り、

私はようやく現実として冷静に受け取ることができました。

私がやることは、泣いて過ごす日々ではないこと。

私がやることは、私自身が幸せでいることだと。

 

幼かった心にお別れができた時です。

・1人暮らし終了

そして、

一人暮らしを終え実家で父と2人で暮らし始めたのです。

 

この頃は、

この後まさか自分が結婚するなんて思ってもみなかったな〜。

続く・・・。

 

 

 

 


<提供サービス>
サービス・料金

LINE@のでご相談、受付中!!

♡恋愛や婚活に関するご相談は、
LINE@から承ります(*^^*)

友だち追加

ライン@にいただいたご質問と回答は
ブログで紹介させていただきます